靴は日常生活を送る上で,ほとんどの方が利用する.移動の際の必需品とも言えるものです.
「出かける時に靴を履く」というのは,当たり前すぎて気にもとめない事かもしれません.それだけ普段の生活に密着したものではないかと思います.
靴は多くの種類があり,その機能や外観などと目的を照らし合わせて選択して使用されています.
義足のユーザーさんも同様に靴選びをしていきますが.義足となったことで選べる靴にも制限が起こってしまう事があります.今回は「義足でヒールって履けるの?」ということについてまとめる機会があったので.記事として紹介していこうと思います.
ヒールって履ける?
靴の足の付根と踵の高さの差が「ヒールの高さ」と呼ばれているものです.
男性もブーツなど踵の高さのある靴を履く機会はありますが.女性の方が圧倒的にヒール高のある靴を履く機会が多いと思います.
日常生活で履きたいから履く.仕事で使いたいから履く.冠婚葬祭で使いたいから履く…と理由は様々だと思いますが.
常用しないまでも,「1足はヒールの高い靴がほしい!」というニーズは.女性の方はとても大きいのではないでしょうか.
女性の義足ユーザーさんでもそれは同様です.切断によって義足となったことで,靴については悩む事の1つとなりますが.
そんな中で当然「ヒールって履けるの?」という疑問が生まれると思います.
結論からいうと,義足ユーザーさんがヒールを履くことは
「条件が揃えば」可能です.
ただし,義足に関係なくヒールというのは「不安定な靴」です.スニーカーなどに比べれば,足への負荷は大きく転倒のリスクもあります.義足の方にとってはそういった問題はより大きなものとなります.
ヒールを履くこと出来る可能性のある条件にはどういったものがあるのでしょうか.
ヒールを履ける義足の条件
踵の高さを変えることが出来る
ヒールは踵が高くなっている靴なので.ヒールを履けば自然と足の踵も高くなります.足の状態としては「つま先立ち」が近い状態ですよね.
ヒールを履くためには,足をこの「つま先立ちの状態」に出来なければ.履いて立つ事自体が出来ません.義足をこのつま先立ちの状態にする必要があります.
義足には,立ったときや歩いた時のバランスを調整するための.パーツごとの角度を調整する機構がついています.
この機構を利用すれば(10°程ですが)つま先を上げたり下げたりの角度を調整することが可能です.
ですが,これには大きな問題があります.この調整は,基本的に固定されたもので簡単には変えられません.
ほとんどの日本の家屋の生活様式は,「屋内では靴を脱ぎ.屋外に出る時に靴を履く」というものです.
ヒールの高さに合わせて固定された足では,ヒールを脱ぐと足を着いた時にまっすぐ立てなくなってしまいます.同じ理由で,ヒールの高さに固定された義足の足部では,スニーカーなど他の踵の高さが違う靴を履きたい時に,高さが合わなくなってしまいます.
普段から繊細なバランス調整を要求される義足であるのに.「靴の踵の高さによって,立った時のバランスが変わる」というのは.ヒールに関わらず義足を使用されるユーザーさんにとって大きな問題です.
この事から,義足ユーザーの靴の選択は制限されてしまっています.
前記の義足の調整機構は,適切な調整をするためには専門的な知識と技術を必要としますが.この靴の踵の高さによって義足のバランスが変わることを嫌って.ユーザーさん自ら専門的な知識を学び,自身で六角レンチを使って調整する方がいるほどです.
それでも,調整にはそれなりの時間を要します.早くても何分もかかってしまうかもしれません.スニーカーなどの種類の違いによる僅かな高さの違いならともかく.ヒール程の高さの違いがあっては義足全体のバランスを変えなくてはならず現実的な選択肢とは言えません.
これでは,専門的な知識を身につけたユーザー以外は.踵の高さ調整を出来ないからヒールを履くことが出来ない!という事になってしまいます.
ヒールを履くための義足足部
残念ですが,現在よく使用される義足足部では.ヒールを履けるほどの踵の高さの変化に対応できるパーツは多くありません.
ですが,それでは「ヒールを履きたい」という方のニーズに応えることが出来ません.
義足の足部パーツの中には,「踵の高さを調整する機能」を持ったものが存在します.
ossur プロフレックスLPアライン
これらの足部パーツは,ボタンワンタッチで足部の角度調整をON/OFFして.ヒールの高さに合わせた,任意の角度で固定できるようになっています.
義足ユーザーの方がヒールを履くためには,事実上こういった調整機構を持った特別な足部が必須と言えるのではないでしょうか.
義足作成時には,義足を構成するパーツについて色々検討していきますが.足部パーツは重要な選択の1つです.身体機能によってこういった足部が使用可能かどうかが変わってしまいますが.女性の方でヒールの使用がニーズにある場合には,検討の対象となる足部となっていますし.実際にこのタイプの足部を選択される方も多いです.
それだけ「踵の高さを変える」という機能のニーズが高いという事かもしれません.
逆に言えば,予めこういった機能をもった義足を作成しなければ.義足でヒールを履くという事は「ほぼ無理」と言ってよいほどに制限されてしまいます.
義足で履ける靴の条件
では,靴の方の条件はどうでしょうか.
ひとことで「ヒール」といっても様々で.靴の種類から踵の高さ,デザインまで大きく変わってきます.
義足の方に限らず,足に負担の少ない靴選びとして共通する部分もあります.義足のユーザーさんであれば尚更ですね.
(出来るだけ低い)踵の高さ
靴の踵の高さがどれだけあるのかは,靴を選ぶ時にもチェックするポイントではないかと思います.
多くの方がすでにご理解頂いているかも知れませんが.踵の高さが高ければ高いほど足への負担は大きくなります.
地面から踵までの高さは,安定性に関わるので大切ですが.より重要なのは足の付根の位置から踵までの高さにどれだけの差があるかです.
この高さの差が大きいほど,靴の傾斜が大きくなり.体重を足の前側で支える割合が大きくなり.つま先立ちの状態になるほど,足の関節を動かせる角度は少なくなってしまいます.
義足でない方の足も,動きが制限される事となってしまいます.
地面に触れている面積も少なくなり,狭い範囲で重心移動をコントロールする必要があり.重心がその範囲から逸脱すれば転倒してしまいます.
身体の機能に問題の無い方でも共通することですが.ヒールの高さが高いほど,不安定で負担の大きな状態となってしまうため.出来ることなら,ヒールの高い靴の使用は避ける,または一時的にしたいと言うのが本音です.
スニーカーの多くで,この足の付け根と踵の高さの差は1~2cm程度でしょうか.ヒールの高い靴を選ぶなら,出来ることならばヒール高「3~5cm以内」に収めていただくとよいのではないでしょうか.
そもそも,先ほど紹介した.「踵の高さを調整できる義足足部パーツ」の多くは,7cmまでの高さしか調節の範囲がありません.7cmより高いヒール高さの靴は,義足の機能的にも履くことは難しいですね.
ヒールを使って歩きたい状況にあわせて.どれだけの距離・時間を歩くかを考慮しつつ.使用可能な範囲のヒール高を検討する必要がありますね.
履いて安定しやすい靴のデザイン
どのようなデザインの靴なのかも,義足でヒールを履く場合に限らず.靴選びの際にはよくチェックしたいポイントです.
例えば,ヒールの接地部分の幅は.踵を付いた時の左右の安定性に大きく影響があります.
高さのあるヒールを履いたときには,「踵にしっかり体重をかける」という歩き方では無くなってしまっているのですが.義足で歩く際には,その「踵にしっかり体重をかける」という事が上手に歩く1つのポイントとなっている場合があります.
義足をコントロールするためには.安定して「足を着く」事ができる必要があるため.ヒールの高さと合わせて,接地部分の広さは.重心をコントロールの難易度を変えてしまいます.
「ピンヒール」など,接地部分が細いヒールは.義足で履くためにはかなりリスクの高い靴と言えますね.
安定性でいえば,足と靴の固定も重要です.
通常靴は,靴そのもののフィッティングと.紐やベルトの周径調整によって足にしっかり固定されています.
ですが,ヒールの中には.パンプスなど履き口が大きく開いたデザインの靴も多く.紐もベルトも無い,という事が多いのではないでしょうか.
足と靴のズレは義足に関係なく問題となります.
甲と踵の周囲をベルトや紐で固定できるようなデザインの靴を選んで頂くと.足と靴のズレを随分改善することが出来ます.
義足でのヒール使用は,難易度が高いものである事は間違いがないので.使用する靴を出来るだけ歩きやすい条件のものにする事が大切ですね.
ヒールを履ける身体能力の条件
最後に重要なのが.義足でヒールを履いて歩くことが出来る身体能力があるかどうかです.他の条件をどれだけ揃えたとしても,ヒールを履いて義足をコントロールする身体能力が揃っていなければ.転倒のリスクがあまりにも大きく,とても勧められません.
義足でヒールを履くことは.もし避ける事が出来るのであれば,負担の大きさから避けたいところですが.それで日常生活への参加機会が減少してしまうのは大きな問題です.
前提として,どれだけニーズや必要性があっても.下肢の切断に伴う身体能力によっては難しい場合があります.実際,挑戦したけれど希望のタイプの靴での歩行は難しかったというケースもあります.
細かい条件を挙げるとキリがないですが.ヒールを履くことが出来る身体能力の条件とはどんなものでしょうか.
膝の機能があるかどうか
ヒールを履けるかどうか大きく分ける身体の機能の1つとして.下肢の切断によって,膝の機能があるかどうかです.
自身の膝の機能がある方は,「下腿義足」を使用し.膝の機能が失われてしまった方は「大腿義足」を使用します.
ご自身の膝の機能がある下腿義足の方は,かなり多くの種類のヒールを「履ける可能性」があります.
ヒールを履く事で,身体にかかる負担は決して無視できませんが.条件を整えればヒールで歩くことが出来るかも知れません.
一方で大腿義足の場合,膝の機能は義足が担うこととなり.下腿義足と比較して,義足の操作の難易度は格段に難しくなります.
通常の大腿義足の歩行でさえ,繊細な義足の操作と重心のコントロールが求められます.
パラリンピックなどの競技シーンでも,下腿義足と大腿義足ではカテゴリ分けがされるほど.身体の機能に差がある事が多いです.
そんな「大腿義足」で,ヒールを履くためには.求められる身体能力の条件も厳しくなります.ヒールが高くなり,地面に接する部分が少ない不安定な中でも義足をコントロール出来る身体能力が必要となります.
義足でヒールを履くことが可能なのか総合的に判断するためにも,専門家のアドバイスは必須となると思います.
ヒールを履くニーズが有るならば,可能であれば退院するまでの間にリハビリ中に試しておきたいです.
通常の義足歩行とは少し違うものとなるため.ヒールを履いた歩行を獲得するためには専門の医師やセラピスト共に練習をしておいた方が良いのではないかと思います.
転倒につながったり,義足を履いている足への負荷が大きくて傷が出来てしまってはリスクが高く,ヒールを履いて歩くことは出来ないですね.
失われた機能を補う義足の進化
切断によって失われてしまった機能を完全に補うには,義足の機能はまだまだ発展途上です.ですが急速に進化しつつある分野でもあり,コンピューター内蔵の義足パーツなどの登場により,失われた機能の一部を少しずつ代償できるような義足も増えつつあります.
中には,靴のヒール高を検知して.義足のパーツ自体が調整を行ってくれるようなものも登場してきています.
ヒールを履くことにより,義足の操作が難しくなることは間違いないですが.こういった義足の進化によって,「ニーズがあるけれど使用できない」という場面が少なくなっていくと良いですね.
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まとめ
「義足でヒールって履ける?」ということについてお話してきました.
ヒールを履きたいというニーズは,実際にリハビリを進めていく中でも.まず浮かんでくる重要なニーズの1つです.
それだけ多くの出番がある靴ですが.同時に足への負担や転倒のリスクなど,問題が多い靴でもあります.
義足での歩行は,その種類や身体の状態にもよりますが,難易度が高い場合も多く.その上で更に不安定なヒールを履くためには,条件を揃える必要があります.
- ヒールを履くことが出来る機能をもった義足を選択する
- 歩行の負担が少ない靴を選択する
- ヒールを履いて義足歩行可能かどうか専門家と相談する
といった必要があるのではないでしょうか.
「義足でヒールを履くのは危ない」というのは間違いないのですが.かといって全ての可能性を最初から諦めてしまうのはもったいないですよね.ニーズがあるのであれば,リスクと天秤にかけて可能となるラインがどこにあるのか確認しておくことは大切です.
「やりたい事を出来る」機会が増やせる可能性があるのであれば,リハビリの専門家とともに挑戦してみても良いのではないでしょうか.
参考資料
パシフィックサプライ OSSUR製品カタログ
http://www.p-supply.co.jp/ossur/catalog/
ottobock コンピューター制御足部メリディウム
https://www.ottobock.co.jp/prosthetic_le/joint/mpf/meridium/
義足と靴,青山 孝, 日本義肢装具学会誌,1989 年 5 巻 4 号 p. 235-239
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspo1985/5/4/5_4_235/_pdf/-char/ja